私のスペイン語の先生はグアテマラ人だ。いつも、スカイプでスペイン語レッスンをしている。日本のことを大変好きで、日本びいきだ。しかし、日本語は話せない。読めない、書けない。スペイン語の先生はどの先生も、感じがいい。中でもアンドレアは、私を好いてくれていることがよくわかる。
いまは、スペイン語の検定試験に向けて勉強している。その中に長文読解があるのだが、私は見てすぐスラスラなんて読めない。そこで、グアテマラ人の彼女は、スカイプに手本として音読している声を録音して、スカイプで送ってくれた。
この行為は時間外なのに、つまり、お金は発生しないのに・・・なんて、親切なんでしょう!
彼女は、日本のことは好きだけれど、日本語を話せない、聞けない、読めない、書けない。そんな彼女だけれど、私のために役に立ちたい、という思いはしっかり感じ取れる。私はスペイン語を多少話せる。レッスンの中で、先生は私のことを気に入ってくれて、親切にしてくれるのだ。
私達の友情(?)は、つたないスペイン語のやり取りでも、育むことができた。言語は相手と意思の疎通を図るための道具だ。でも、それだけではない。コミュニケーションの中には、言葉だけでなく、声のトーン、表情、雰囲気・・・いろいろな要素があって、思いを伝えるものだ。
これが日本人どうしだったら、なおのこと相手の言いたいことだけでなく、どう思っているのか、言葉以外の表現で、こころの奥を垣間見えてしまうのは、当然のことだ。
コミュニケーションは言葉だけではない。それどころか相手に思いを伝えることにおいて、言葉というツールが占める割合は、13%ということだ。
グアテマラ人と話していて楽しいのは、会話が弾むという事だけではなく、心の交流もできているからだと思う。
コメント