わたしが釈然としないこと。

ゆるし

 最近、友だちから新しい就職先のことで、相談された。それは、現在わたしがやっている仕事と同じような仕事で、やり方についてアドヴァイスをもらいたいという事だった。私は、考えうる限りの情報を友達に話した。その仕事をするにあたって準備すると良いこと、困ったときは、どのようにして解決したらいいか、参考になる情報‥‥。友だちは、とても参考になった、という言葉を返してくれた。

 それから、3か月後、彼女から連絡があり、zoomでもう一人の友達も交えて話そうという事になった。彼女は過去の出来事だけを話しするだけなので、新しい就職先のことはどうなったか尋ねた。すると、「うん、たいへんだね。でもなんとかやっている。」という返事だった。

 3カ月前に、一度お礼を言っているのだから、重ねて言う必要はないと言われれば、それまでだが・・・なぜか私は彼女からの感謝の言葉を期待していた。

つまり、私の中に『感謝されたい』という承認欲求があったということになる。他人から感謝されなくても、私はいい人だと自分でわかっているのに。もし、感謝してくれないとわかっていたら、お得な情報を友達に話さない、そんなわたしでいられるだろうか?いいや、感謝されるとか関係なく、同じことをしたであろう。友だちにお役に立てるのがうれしい自分がいるのだから、感謝の言葉を期待するのは、本当の私ではない。感謝される方がうれしいのは正直なところである。でも、友だちの役に立てる自分をこよなく好きでいることの方が私らしいし、価値がある事だと思った。

もしまた、同じようなことがあったら、人に親切にするのは、結局自分のためだということを忘れないでおこう!

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