私は、大学受験に失敗し、一浪して大学進学をした。スムーズに大学進学する人が多い中で、一浪することは、自信満々、堂々とする、という事からちょっと外れる。大学受験の時の浪人ならまだしも、高校受験で失敗する人はさらに少ないわけだから、心の痛手になることは間違いない。
人生には青写真というものがあり、この青写真は生れる前に自分が書いたといわれている。この考え方に基づくと、受験の失敗は予定通りの出来事ということになる。どの学校に進学するかで、その後の出会いに違いが出てくる。今、大切な人に出会っているとすると、その学校への進学はその人と出会うために必要不可欠であったといえる。
人生の岐路に立った時、こっちの道が間違い、そっちの道が失敗、という事はないのだ。どの道へ行ったとしても、それが予定してきた道の一つなのである。だから、どんな人生を歩んできたとしても、学ぶことはあって、インパクトがある出来事ほど、そのことを学ぶために生まれてきた、と言えると思う。
何か大きな失敗と思えることを経験した時、このことから私は何を学べばいいのだろうか、という視点で物事を考える癖をつけるといい。
すると、今まで失敗と思われてきた出来事が、光り輝くかけがえのない経験に変わるだろう。どうして受験に失敗したのか・・・それは、大切な人生経験を味わうためといえる。つまり、必要な経験であったと言えるする。
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