全部自分が自分なりのフィルターを通して、解釈し決めていただけなのです。
この部分を、一例をあげて説明したいと思います。
あるコーチンググループで、和子(仮名)さんが現状を告白してくれました。海外に住んでいる人で現地の方と結婚しました。子どもは4人。ご主人の収入が低いので、本人も仕事をしていました。そして、ここ何カ月も夫は浮気をし、家に帰ってくるのは週末だけだという。浮気をやめるように話してもやめる気配はなし。お金も入れてくれない。どうしたら、戻ってくれるのか、という相談でした。
彼女は、浮気した夫の愛情を取り戻せない悲しみ、浮気相手の人に対する憎々しい思いで身動きがとれない様子でした。
そこで、私は次の提案をしました。
夫が週末しか帰ってこない。→食費がかからなくてすむ。 かわいい子供たちは母親だけになついている。→これは嬉しいこと。 夫が帰ってきたら、子どもたちだけでなく夫の身の回りのこともしてあげねければならない。でも、ウイークデイは帰ってこない。→子育てに専念できる。 週末は帰ってくる。→奥さんに対するものか、お子さんに対するものかわかりませんが、愛情はある。
こんな風に考えると、夫が浮気して家に帰ってこないことにも、良い点はあるのではないかと、提案しました。すると、そんな風に考えたことはなかった。気持ちが軽くなりました、という返事が返ってきました。
私達は、世の中の風習や多くの人がやっていることに価値を置き、一つの方向からしか物事を見ることができなくなりがちです。普通こう考えるものでしょ!などと、世の中の常識と呼ばれるものに基準を置いて考えます。
現実に起こった現象には良いも悪いもない。あるのは、それをどう見るか、私たちの解釈なのです。そして、どのように解釈するか(どんなフィルターを通して見るか)で、私たちの感情は生れます。少しお分かりいただけたでしょうか?