私は、不当に扱った人に対して、怒っていました。自分の存在価値をわかってくれないことに対し、許せない気持ちでいっぱいでした。そんな日々が、実は何年も続いていました。
そんな時、
自分で、自分をそのように扱っているから、そうされるんだよ!
と、友だちから衝撃な言葉を言われました。
エー、自分も自分を大した人間じゃないと、価値のない人間だと、思っているわけ・・・?
そんなはずないじゃん!
私は、自分のことが好きだし、友だちからも慕われて、仕事場では頼りにされている。なのに、自分を取るに足りない人間だと思っているというのか・・・?!
私は、人は自分の思い込み・観念というフィルターをかけて現象を見ている、ということを思い出しました。このことはよくわかっているつもりでした。
たとえば、
普段から自分は馬鹿だなぁ、と思っているA ちゃんと、自分の事これっぽっちも馬鹿だとか考えたことのないBちゃんがいたとします。そこで、Cちゃんが誰かと話していて、「あの子馬鹿だよねぇ」と言ったとします。すると、Aちゃんは「きっと、自分の事を噂しているんだ。馬鹿にされた!」と思い、怒りの感情を抱きます。ところがBちゃんは、「誰のことをいっているのだろう・・・。」と自分の事とは関係ないと感じ、心波立たせることはありません。平静なままです。
このことを考えると、自分の中にある観念がフィルターになり、現象をそのフィルターを通して物事を捉えるので。マイナス感情が生まれるというわけです。
このことをわかっているつもりでしたが、自分のこととなると、応用できないでいることに気づきました。
つまり、私の中に、私自身をぞんざいに扱う気持ちがあるのだと、気づきました。
このことに気づくと、自分を価値のないものとして扱っていた自分を、ゆるすことが始まりました。
他の見方からも、被害者意識を手放しました。
これについては、また次回。