≪〇〇さんだけは、許すことができない≫という思いを抱いていたら、手放しで幸せ―という感情からは遠ざかってしまうだろう。そりゃあそうだ。憎しみを抱いているのだから、そのことを考えていないときは一時の幸せを感じたとしても、嫌な人を思い浮かべたとたん、不幸の渦の中に落ちてしまう。
私のこれまでの人生の中で、いろんな人からいじめを受け、嫌な人だなぁと思ってきた。(私も誰かにそんな感情を抱かせてきたとは思うが。)はっきり言おう!嫌いな人がいたことがある。あの人だけは許せない、という感情を持ったことは私の歴史の中に確かにある。
でも、今はいない。最後まで、許せなかった人・・・それは、自分と近しい人だったりする。でも、その感情は今全くない。「ありがたい」存在となっている。
そういえば、誰も恨んでいないことに気づく。これまで、嫌なことをされたり、言われたりしたことは数多くある。経験してきた。一時は、「私ばかり…」とさえ思ってきた。「なんで…」と被害者意識から離れられなかった。
でも、今はそんな感情はない。はっきり「ない」と言える。これは、時間がたったから風化した、と言うのとは少し違う気がする。私の中に、「人を恨む」という気持ちがなくなったのだ。統合して、いらない感情を《一つの経験》としてとらえられるようになったからだろう。しかも、あの、苦しかった経験は、自分には必要であった貴重な経験と化した。だから、あの苦しかった経験さえもいとおしい。昇華した。
カウンセラーとして、クライアントさんの話を聞いていると、必ず誰かを恨んでいる。許せない気持ちが静まらない。しかし、人を嫌う気持ちを持ったままでは、欲しい未来はやってこない。嫌いな人を“好きになれ!”というのではない。“なんでもない人”にしていこうと言っているのだ。そうしないと幸せは訪れないでしょう。