誤解をされたまま、本当のことを言えずに終わってしまったとき、自分の気持ちをどのように納めたらよいのでしょうか?
物事がこじれ、事実を言うと生徒がうそを言ったことになる。だから、悩んで、真実を言うことを選ばなかったことがある。つまり、先生が悪い、という結論でPTAからのクレームに対処したことがある。
それは、何年も前のことなのだが、今日たまたま、そのことを思い出した。自分の中で解決していない事柄として思い出したのだ。そして、斎藤一人さんの音声を聞いた。
嫌なことをされたからと言って、あなたが仕返しをしなくていいの。わたし神がやるから、汝はやらなくてよい。というのだ。
確かにその通りだ。嫌なことをされたからと言って、仕返しをしたら、その人と同じになってしまう。あのとき、自分は誤解されたままであったかもしれないが、見てくれている人はちゃんと見てくれる。だから、正しいことを主張して、子どもを傷つける必要はなかったのだ。
本当は違う、といえば生徒がうそをついたことになる。そうなると、家に帰って生徒が叱られるかもしれない。先生としての信用をさらに無くすかもしれない。もっと騒ぎを大きくするかもしれない。・・・・・・(このことを、校長先生と教頭先生はわかっていたのかもしれない。)
だから、あれでよかったのだ。それ以上ややこしくしなくてよかったのだ。その生徒の親御さんには、わたしの信用は落ちたままだろうが、それ以上落ちなくて良かった。
何年も経った今、忘れていた過去を思い出し、自分を認めてあげようと思った。
正しくない、嫌なことをされたからといって、あなたが仕返しをしなくていいの!この言葉はかなり私の心を救ってくれた。遠い昔の自分を救ってくれた。